大晦日in2018。

■今年も大晦日を迎えた。家族は3人が個を築きながら成長(=変質)をしていった歳であろう。妻は思い詰めるも、その対象を揶揄することができるようになっており、今までとは違う文脈の中で話が合うようになった(ワルになった)。日々の全てに感謝である。息子は受験生の自覚を得てきており、オール3や平均3±0.1が平均4弱に好転した。日々の努力の具合は変わらないが、自発性と効率性の向上が要因で、受験では目標を達成して欲しい。そして僕は、転機の真っ只中で年の瀬を迎えている。

■人生100年時代において50歳を迎えたにあたり、「道照らす50歳。」を掲げた。これは、自分自身の未来を描き進むべき道を探る自分探しと、家族や同僚、部下に対して自らの経験から道標を一緒に探る支援の2点からの標語である。自分自身については、起業して新しい形での社会貢献でワークライフバランスを築く道を歩くこととした。一方、他者に対しては、様々なケースで沢山の話をしてきたが、僕の話はもう時代遅れで、環境適応できていない事例も多々あったようである。直接的や間接的に部下を追い込み、複数を休職させてしまった責が少なからずあるだろう。しかし、利益追求が目的の集団である企業にあって、中学生に諭すことと同じレベルのことが繰り返しできない高学歴者を放置し甘やかすことこそがパワハラではなかろうか。厳しく接しても尚できない輩が、放置され甘やかされたら企業における社会生活など送れるはずもない。

■仕事:今年も部長昇格の推薦を頂いたが、今年はこちらから辞退した。過去には、執行役員にNGを出され、翌年には越権社長にNGを出されたが、今年はこちらがNGで返した。理想と現実を一直線で結びたい社長の方針は分かるが、その不連続を埋めるためには経営者や管理職の翻訳と自分自身の言葉が必要になる。しかし当社においては「社長が言うのだからやれ」であり、雇われ役員に主体的な思いなどはない。そんな会社で部長になり、理不尽な指示を部下に出すことはできないし、自らの責任でコトを為すことなどできない。また、新事業・新商品に対する抵抗感が強い会社(風土)であり、英語を話すことも、異なる技術を活用することも、新しい顧客と話すこともできない。そんな会社から新商品、ましては新事業など生まれるはずもない。この会社の定年まであと12年、自己実現は困難ばかりで成果僅少と見込み、退職することとした。10月から退職願受理をお願いしているが、手渡しは歳またぎとなった。しかし、4/1以降は確実に自分の道を歩む。行政支援の審査会で「言う立場ではないが感銘を受けた」とコメント頂いた課長にその姿を見せたい。これからの自分が、10年前の自分に出会っていたら、もっと変わっていたと思える未来の自分になっていきたい。

■乗り物:2014年に買って16千km乗ったラパンショコラを90万円で京都に売りに出し、FIAT 500 Zaffiroを手に入れた。2気筒ターボのトルクとパルスをデュアロジックの不連続なダイレクト感でドライブするデザインコンシャスな軽自動車+αである。10月末の納車から2千km弱、やんちゃなドライバビリティを16km/Lの燃費で楽しんでいる。過日、UP!を試乗した。それに比すると、あらゆる実用面で2ランク格下の500だが、そのコンセプトとアイデンティティはセカンドカーでなら最高と言えよう。パサートGTEは通勤とドライブに大活躍で14千km程を移動した。9割以上はACCのラクチンドライブで、充電分を除く燃費は30km/Lで、給油頻度も1,000km±300km毎で、ともかく低燃費である。これにRNC7を積んで霞ヶ浦周回に何度も行った初夏が懐かしい。R100RSとセロー250は共に800km程度のライディング。夏は暑すぎるし、冬は寒すぎる今年であり、あとは加齢によるモチベーションの低下だろう。来年は1,000kmずつを目指していこう。

■PC&カメラ:何も買わないはずだったが、起業することを決意したので、それ用のWindowsパソコンを購入した。会社で使い慣れたlenovoの米沢モデル。これで事業計画書を作成し、プレゼンした。モニタはまだ開梱しておらず、年明けの行政支援室に持ち込み、店を広げよう。難点は一つ、SDカードスロットがないこと。カメラは去年同様にキヤノンPowershot G1xがもっぱらで、ニコンDfを正月限定で使うだけである。

■移動:1月末に冬の北海道を1週間ドライブした。ホワイトアウトして何も見えない道、農道の夕闇で脱輪した峠、マジックアワーのパステルな海、凍てつく夜道、国境を臨む岬、その全てが懐かしい。息子の引っ越しで神戸−膳所を往復し、お一人様で足を伸ばして天橋立に28年ぶりに行ってみた。当時の記憶がまるでなく新鮮だった。航空機移動は夏の帰省のただの一度だけ。世界中を回った人間がこじんまりと生活している。

■年明けは「道照らす50歳。」のセカンドハーフ。去年の大晦日に「楽な道」と「切り拓く道」のいずれを行くかを考える歳と位置づけた今年だが、後者を選択することとした。僕は退職し、そして2019/7/1に株式会社を設立する。それが2019年の50歳の僕である。
EOF